2009年08月06日

インナーペアレントの癒し



インナーチャイルドの癒しはよく聞くが、

インナーペアレントの癒しは聞かない。


親が子どもに愛情を求めるのは、

もしかしたら親が自らのインナーペアレントを癒そう

という(無自覚の)試みかもしれない。


そう考えると、「愛の逆流」といって、

それを全否定するのはよくないのかも。

子どもから愛情をもらっているという

自覚あって、感謝してさえいれば。

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2009年07月15日

spiritual healthと態度価値



「夜と霧」で有名なフランクル医師が提唱した、

態度価値

創造価値

体験価値

という、人生における3つの価値。



これとWHOの健康の定義を関連づけると、

spiritual well-being → 態度価値

mental well-being → 創造価値

physical well-being → 体験価値

となるのだろう。

※WHOの健康の定義には、くれらに加えてsocial well-beingもある。



それぞれのhealthが、それぞれの価値のベースとなる。

健全なspiritual healthがなければ態度価値は生まれにくい、

ということだと思う。


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2009年06月11日

この世がこの世であることの美しさ



人が人であることの美しさ。

このことを考えているうちに、


当たり前が当たり前であることの美しさ


を感じられるようになってきた。




もちろん、四六時中感じているわけではない。

でも、一日にほんの一瞬でも感じられるだけで、

心中は穏やかになる。





いちばん当たり前なのは、生きていることだ。

自分で意識しているわけでもなく、生きている。

心臓が動き、血が流れ、呼吸をし、物を食べれば消化してくれる。

すべて当たり前の働きが、わたしを生かしてくれている。




当たり前の美しさは、自然だけの話ではない。

機械が当たり前に動くのも、すごいことだ。

このパソコンも当たり前に動いてくれている。

最初にパソコンを開発した人たちは、

当たり前に動く姿にさぞや感動したことだろう。




この世は美しい。。。

この世がこの世であることの美しさ


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2009年06月05日

人が人であることの美しさ その2



先日、若者と面談しているときに、

創造することも人の美しさであると

気づいた。




自分の内面と向き合い、

自分の気持ちをなんとか言葉にしようと

苦心している姿。




”言葉”という道具で、

”この場”というキャンバスに

自分の気持ちを表現する。



人はみな、創造者だ。



これも、

 人が人であることの美しさ

だと思う。


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2009年06月02日

人が人であることの美しさ



「人が人であることの美しさよ」

今年のNHK大河ドラマ「天地人」での、上杉謙信のセリフ。

もうだいぶ前に聴いたのだが、以来、頭の中で鳴り響いていた。



ヒントは身近にあった。



以前から、ヤギが草を食む姿が好きだった。

まさに一所懸命。

これが、ヤギがヤギであることの美しさ?



ということは、

犬は一所懸命、匂いを嗅ぐ。

犬が犬であることの美しさ。。。



野花はいつもけなげに咲いている。

野花が野花であることの美しさ。




では、人が人であることの美しさは?




わたしは、すべてのことに関心をもつのが、

人が人であることの美しさだと思う。

うれしいことはもちろん、嫌なことまで関心をもつ。

美しいものにも、汚いものにも。

静けさにも、騒がしさにも。。。



もちろん、現実的にはすべてのことに関心をもてない。

人により、偏りがある。

それが、その人の個性。

その人がその人であることの美しさ。

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2009年05月30日

セルフ・ケアをめぐって その2



知識・ノウハウは、置いておくのがいいのかな?と思ってきた。

伝えようとするのではなく。

そうすれば、相手が必要なときに自分から手に取るだろう。



となると、どうやって置いておくか。。。







そもそも、セルフ・ケアとは、自分で自分の面倒をみる、

ということ。



ナラティブ・アプローチだったら、きっと、過去のセルフ・

ケアをしていた瞬間に注目するのだろう。

しかし、過去にやっていたセルフ・ケアでいいのか?

もしかしたら、わたしがもっているノウハウの方が、

もっといい方法かもしれない。。。




そう感じたときに、伝えればいいのか。



posted by 兼子聡介 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

セルフ・ケアをめぐって・・・



わたしはカウンセラーでもセラピストでもない。

そういう専門的なトレーニングは受けていない。



カウンセリングの勉強は独学でしているが、

それもまずはセルフ・ケアのために使っている。

自分で効果を実感していることを、相手に伝えようとしている。




しかし、セルフ・ケアの仕方を単純に伝えても、

相手がセルフ・ケアできるようになるわけではない。




どのように伝えたら、相手のセルフ・ケアの力を伸ばせるのか。。。

知識、ノウハウは必要だと思うが、それをどういう形で伝えるのがいいのか。。。

あるいは、伝える必要はないのか。。。

心理教育、自助グループ、ナラティブ。。。

。。。


posted by 兼子聡介 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

世界は融合に向かってる!?

そんなに大げさに考えいるわけではないが、
mixiからアクセスが来ているようなので、
簡単に気になったニュースをUPしておく。



<既存複合ビル、多様な生物が住む環境に 森ビル>

 森ビルは自社で開発した既存の複合ビル開発地区で、多様な動植物が生息できる環境づくりに取り組む。日本生態系協会(東京・豊島)の協力を得て、都心のアークヒルズ(東京・港)に野鳥や昆虫などがどれだけ生息しているかを調べる。過去にどのような生態系が保たれていたか文献にもあたり、1年かけてデータを蓄積。今後の都市開発案件などに生かす。

 アークヒルズでは飛来してきた野鳥などを調査する。夏と冬にそれぞれ2、3日を費やし、鳥や昆虫、それらが集まる植物などの生態系をチェックする。また同地区で生息していた生物に関する過去の文献も活用。今後予定する開発地区で、呼びこみたい生物を策定する際の基礎データにする。 (16:00)
(NIKKEI NET 2009/5/25 から引用)

都市と自然の融合!?

田舎もどんどん便利になってるが。



オープン・イノベーション
発想を転換し、外部に革新を求める


長いので要約すると、いままでは企業内部で極秘に
行っていた研究・開発を、企業の外部と協力して
行って、技術革新を図る動きが紹介されている。
民間企業にも「系列」という縦割り構造があったが、
それが崩れたのも大きいらしい。
(日経ビジネスONLINE 2009/5/25)

吸収合併という動きもあるが、こういう方が「融合」
らしい気がする。



融合とはまったく逆の動きも感じる。
スピ系でいうワンネスなんかも、「自分たちだけは
特別」っていう空気を感じた。
(まだ流行ってるのかな?)



自分の内なる流れと、世の流れと、両方を感じて
生きていたいと思う。
posted by 兼子聡介 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

大家族とペルソナ




先日、大家族のTV番組を観た。

以前から大家族ものはよく観る。

私の世代(30代半ば)からすれば大家族なんて昔の話しだが、それが現実として観れるのは大変興味深い。

あこがれみたいなものもある。

理想の家族像を求めてるのかもしれない。


大家族といっても地域や親の職業によっていろいろだ。

それは今も昔も一緒なんだろう。


ただ、おそらく変わらないのは、親がひとりひとりの子どもに手が掛けられないこと。

結果、上の子が下の子の面倒をみることになる。

でも、これは”代理親”というペルソナ(仮面)だ。

ペルソナをかぶり続ければ、人のためにしか生きられない供依存者になってしまう。

しかし、数年にわたって観ていると、兄弟の役割が変化していくことに気づく。

以前は上の子に面倒をみてもらっていた子が、今度は下の子の面倒をみている。

他にもいろいろな役割の変化・交代があるはずだ。

たとえペルソナでも、このように様々な役割をこなしていけば、生き方にも柔軟性が生まれ、後に供依存者として苦しむこともないのかもしれない。


役割の交代・変化は、ひとつの家族では自ずと限界がある。

たとえば末っ子は代理親は経験できないだろう。

地域の子どもたちの中で役割の交代・変化があれば、持続的に子どもたちがそういう経験をすることができる。

地域社会の崩壊は、子どもたちから生き方の柔軟性も奪ったのかもしれない。



posted by 兼子聡介 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

親にとってもトラウマ



子どもがひきこもりになり「信頼していたのに・・・」と度々嘆く父親がいたが、子どもへの信頼や期待を失うという意味で、子どものひきこもりや不登校というのは親にとってもトラウマになる。

だからこそ、説教をしたり強引に外に出そうとしたり、ついつい攻撃的な態度に出てしまうのだと思う。

職場では落ち着いて問題に対処しているであろう父親の方がそうなりがちなのが、なんとも皮肉な話だ。

それだけ子どもを信頼していたということだろう。

(ただ、この信頼が放任となり、子どもにとっては「自分に関心がない」とトラウマになっているのだから、親からすればなおやりきれない話でもある。)


けれども、親から攻撃されればそれがまた子どものトラウマとなり、子どもに追い討ちをかけることになる。

はじめから「信頼してたのに・・・」と子どもの前で嘆いていれば、そういうことにはならずに、逆に子どもの助けとなったかもしれない。


弱音を言えないのが”男らしさの病”にかかった父親の悲しい性であるが、その病が直るきっかけを作ってくれるのが、子どものひきこもりだとも言える。

子どもは、親が想像する以上に、親にいろいろなものを与えてくれている。

親がそのことに気付けて子どもに心から感謝できたときが、親子の本当の和解なのだと思う。

posted by 兼子聡介 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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